私(秋山)は、秋山クリニックを、2006年4月12日、秋田県湯沢市に開院いたしました。 産婦人科や一般内科、心身症関係の病気の予防や、治療をするクリニックを目指しています。 好事魔多し。開業後一年ほどたち調子もよくなってきました・・・が、 2007年6月24日の午後、稲川町の山(国見山)で、ハンググライダ−の離陸時の失敗で、斜面に転がり、 頚髄(首の神経)の4、5,6番目付近を損傷していまいました。ヘリで雄勝中央病院に搬送されました。 首から下がほぼ完全麻痺の状態でした。1週間雄勝中央病院にて治療し、その後、7月2日ヘリで秋田日赤に転院し 、約1ヶ月間治療。 そこで高圧酸素療法などを行いました。死ぬ危険性もありましたし、私自身生きる気力も失う所でした。 でも、なんとか、命は助かりました。 8月6日に大仙市の県立リハビリセンタ−に、ねたきりの完全介護の状態で転院。 その後の長い長いリハビリでしたが、杖での歩行も、何とか可能となり、2008年2月8日退院しました。 そして2008年3月3日にクリニックを再開しました。 \(^o^)/ 2009年2月1日には診療科目を追加しました。 今までは【産婦人科・心療内科】でしたが、それを【産婦人科・内科・心療内科】にしました。 能代と秋田市に住む私の友人と、湯沢市の男性の患者さんからの意見によってです。 事務員の佐藤知香子さんの、ひそやかな、意見では・・・優柔不断な院長だから、どうせ時間がかかるだろうねえ・・ おや、なんとまあ、どうしたことでしょう ♪ 、無事に、看板に<内科>を追加する事が出来ましたよぉ(^_^)v 証拠写真はこちら 事務員の独り言など何とも思わないように、院長のツラの皮膚の厚さは回復していますが、 体力や歩行力はまだまだ不十分。診療しながら、雄勝中央病院や私のクリニック内でのリハビリは続けています。 2009年3月から6月30日まで事務員の佐藤知香子さんが産休。 その代わりは、強力なスタッフ 佐藤恵津子さんにお願いしました。 7月より佐藤知香子さんが、かわいい男の子を出産して復帰。 2010年1月1日無事に新年を迎えることが出来ました。 私の身体の回復は、事故から時間がたって、回復の早さが次第にゆっくりになってきています。 2010年の夏には知香子さんの男の子の方が遥かに早く歩きます。 2011年の正月には知香子さんの男の子から手をひかれ、転びそうになりました。 (/_^ゞ 2012年の正月から事務員の佐藤知香子さんが再び産休。齊藤綾子さんにピンチヒッターを御願いしました。 2012年6月から佐藤知香子さんが、今度は、かわいい女の子(長女)を産んで、産休から復帰。上の男の子(長男)は幼稚園。 でも齊藤綾子さんには、引き続き、事務員の仕事を御願いしています。 2012年7月から菅野里美さんに臨時の看護師を御願いしています。 9月佐藤知香子さんの女の子はつかまり立ちし、院長と同じ感じの発育度です。 でも立ち上がる早さや、立っているかわいらしさでは、院長は完全に負けていますねえ。 2013年4月に菅野里美さんは、助産師として東京の大学病院で働き始めました。 とても残念ですが、里美さん自身の成長にもなるのだし、院長は泣く泣く別れを告げました。 6月3日からは新しい仲間(新人という意味ではありませんが)の橋とし子さんが加わりました。看護師二人になりました。 7月最近、看護婦の加藤紀子さんと院長の間には、激しい言い争いがあり心配です。 紀子さんと院長の<孫自慢バトル>です。 両者共2人の孫で、それなりに可愛いし・・・・・いいや、オレの孫の方が可愛いねえ。 何言ってるの私の方が色白で可愛い子よ・・・・・・・ 8月31日に、残念ですが、橋とし子さんは希望により、退職になりました。 又あわただしくなり、患者さんをお待たせするのかと思うと気が滅入ります。 2014年になって今年は雪が多く1月に雪下ろししました。 2015年6月から佐藤知香子さんがまた産休。臨時のスタッフとして富樫裕子さんにすがりつき、御願いしました。 2015年の終わりには佐藤知香子さんが、小さく太った男の子(次男)をつれて復帰しました。 富樫裕子さんも引き続きの勤務を御願いしました。 2016年春。今年は雪が少なくクリニックの屋根の雪下ろしをせず済みました。 佐藤知香子さんの長男が小学生になります。 2017年には院長は痔瘻の手術 2018年春。佐藤知香子さんの長女が小学生になります。 2018年3月。なんと院長は急性胆嚢炎で2週間位入院しました。 何とか復活しましたが、あの元気な院長が少しづつ病にとりつかれて行くのは、かわいそうですねえ。 その後は結局胆嚢をとってしまいました。 2020年には院長の毛の生えた心臓も、ゴミやカスが溜まってつまりあんばいなので、心臓の整備の為にちょい入院。 |